ジージャンズ−文化系人間をアッパー系とダウナー系でわける−

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050804/jeajums
ネットサーフィン(死語?)をしていたら興味深いものを発見したのでとりあえずリンク。文化系人間をアッパー系とダウナー系にわけるというもの。ちなみにここでのそれらはドラッグなどの世界で使われるそれではない。別の方の意味。
人間を分類するというのもある意味究極だと思うんだけれども、潤滑にコミュニケーションをとるためにはこれは重要なのかもしれない。
さて、上の記事の中でこちらもまた興味深いものを発見。


文化系人間の思惟構造を考察する際に注目されることは、彼らが次のふたつのタイプに分類され得ることである。アッパー系とダウナー系である。
アッパー系:文化系でありながら、体育会系にあこがれを持つ人々のことである。ブルース・リーを師父とあがめ、チョウ・ユンファを兄貴と慕う。愛読雑誌は言うまでもなく『映画秘宝』。
ダウナー系:体育会系への憎しみは彼の内面で濃縮され、それはやがて世界全体に対するルサンチマン的な感情へと昇華される。他虐と自虐の狭間の中で、彼は思春期的なふらふら内面感をいつまでも抱きつづける。20すぎてもアニメを見るような人々に多いタイプ。
短いながらうまくまとめられているような。さらに続いて詳しく説明されている。

アッパー系はジージャンズと同義であり、ダウナー系はおたくと同義であると本稿では考える。『巨人の星』を読んで泣くのがアッパー系であり、笑ってしまうのがダウナー系であると考えてもよい。それではなぜ、こんな分離が文化系の中で起こったのであろうか。
思春期における不幸の度合いが文化系人間の運命を決めたのではないかという議論が、まず可能であろう。暗雲に満ちたとはいえそれなりに充実した青春を送った者は、世界を愛する余裕を抱くことができる。一方で、例えばあまりにも体育会系との格差が目立つ者にとっては、もはや体育会系にあこがれを持つことは不可能である。彼は体育会系に過剰な憎しみ悪を見いだすことによって、自らを正当化しようとするだろう
たしかにこれには同意。いわゆる「はやい話」だよなぁ……。しかしもっと端的に、体育会系へのルサンチマン的感情の量によってアッパー系かダウナー系かが左右されるのではと思ってみたり。これはただの感情的な極論か。
さて、この「体育会系と文化系・概論」が掲載されているEin Besseres Morgenがおもしろすぎる。もちろんその「おもしろい」は"funny"のほうじゃなくて"interesting"の方で。スペルを間違っていたらはずかしい!
ついでにさきほどのウェブサイトからリンクされていたありがちなネタ大全集がおもしろすぎる。こちらは"funny"の方で。
……あれ、本題なんだったっけ?